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永保亭

永保亭

永保亭

永保亭は、烟村・崔徳之(1384∼1455)先生が官職を辞めた後霊岩の永保村に移り住み、学問研究に専念しながら婿の慎後庚と共に建てた東屋である。

崔徳之先生は李氏朝鮮時代前期の文臣で、学識が高く行動が端正で人から尊敬されていた。多くの著書を残したが焼失して1册だけ残っており、複数の賢者達の論説だけが伝えられている。最初にあった東屋は荒廃してしまい、崔挺と慎天翊(1592∼1661)が今ある場所に移し建てた。

永保亭の規模は、正面が柱5つの間から、横は柱3つの間からできており、柱は横から見ると八の字の形をした入母屋屋根になっている。扁額は、書家の韓石峰が書かれたと伝えられている。永保亭は日本統治時代に青少年に抗日救国精神を教育した場所という歴史的意味の大きい場所で、毎年5月5日に『豊郷祭り』という村祭りがこちらで開かれている。

永保亭案内