왕인박사유적지

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김선희, 2012, 〈근대 왕인 전승의 변용양상에 대한 고찰〉, 《일본문화연구》 41, 동아시아일본학회.

편저자 : 김선희   |   번역자 :   |   유형 : 기타( 논문 )   |   쪽수 : 22   |   총권수 : 권
김선희, 2012, 〈근대 왕인 전승의 변용양상에 대한 고찰〉, 《일본문화연구》 41, 동아시아일본학회. 이미지 1

近代王仁伝承の変容に関する一考察 本稿では1890年~1940年代に刊行された日本の歴史書と歴史教科書を中心にして、『日本書紀』『古事記』からみられる王仁伝承が近世をへて、近代にはいかに伝われたかを考察した。またそう した伝承が韓国に受容されつ過程、伝承の流布と変容という側面から考察した。 明治期日本における王仁像は3つに分けられる。第一、林泰輔などの歴史学者による史書を中心 とした実証的な叙述。第2、寺島の著書にみられる王仁顕彰。第3、椎川の著書からわかるように三韓を卑下しながら日本との「区別づけ」による日本の優越性を強調する文脈での叙述。このような傾向は「前近代江戸の儒者による王仁像とは頗る異なる様子である。そのなか王仁慈をたて、歴史的事実として意味づけようとした寺島の場合は、従来の研究から指摘されるように「内鮮一体」「歴史捏造」の例 しとしてあげられよう。 一方、近代韓国における王仁伝承は前近代の王仁像が継承されると同時に「内鮮一体」の適合 な事例として浮上され一種の変容過程がみられる。その代表的な例がすなわち王仁の霊岩出生説であ る。その始まりは全羅南道羅州の本願寺の住職青木恵昇からだった。そして1920年からは寺島の例にみられる王仁顕彰事業は言論報道を通して一般の民衆に広く流布され、かような王仁像もまた広くつたわるようになる。興味ぶかいのは、そのような「内鮮一体、の適合な事例としての王仁像は同時に、「日 本における儒学と文学の祖」としてゆき致われる王仁伝承は、植民地と転落した朝鮮の人々に一種の代理満足を与えた。戦争がおわり解放を向かえた後に、そうした傾向が次第に強くみられる様子を生時の教科書から確認できる。

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