왕인박사유적지

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김선희, 2011, 〈전근대 왕인(王仁) 전승의 형성과 수용〉, 《일본문화연구》 39, 동아시아일본학회.

편저자 : 김선희   |   번역자 :   |   유형 : 기타( 논문 )   |   쪽수 : 30   |   총권수 : 권
김선희, 2011, 〈전근대 왕인(王仁) 전승의 형성과 수용〉, 《일본문화연구》 39, 동아시아일본학회. 이미지 1

前近代王仁伝承の形成と受容 韓日交流の歴史を語る際、必ずといってよいほど言及される人物は王仁(和爾吉師)である。韓国の全羅南道のある地域では毎年王仁の祭りが行われる。その際、王仁は日本に文化、文明を伝えた人物として韓日文化交流や友好における典型として語られる。しかしながらその人物を叙述した 最初の史料は『古事記』や『日本書紀』などの日本の史料であり、これらの書籍には短編的な記述しか見られない。 『古事記』や『日本書紀』に叙述される王仁は百済から『論語』と『千字文』をしたという短編的なこと以外には知られていない。しかし王仁はそれと類似した役割を施行した阿直岐や他の五経博士などとの人物を取り除いて近世日本の儒者から「日本文化の先駆」として評価された。日本の儒学と文学の祖として選ばれた王仁は中国に由来した「博士」という、文化の伝播者としての性格を象徴するに相応しい官職名が附記された。また漢高帝の後商とされ身分と家系が格上げされ、人相を見ることに長け、次期の天皇の予測さえできる能力を備えた人物と見なされた。 ここから王仁伝承の形成と展開には偶者を中心とした近世日本の知識人の認識が作用し、古代の史料には見られない新しい人物像が創造されたことがわかるだろう。このように日本の知識人によって新しくつくられた王仁伝承は朝鮮後期の実学者を中心に両国の知識交流が活発になる過程において朝鮮に受容され、朝鮮の知識人は日本の書籍に基づいて、一層現実的に王仁像を描いたのである。かくして王仁はその実態への歴史的な検証されることなく、歴史的事実として認識されるようになったのである。

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